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東京高等裁判所 平成6年(う)1372号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

一  本件控訴の趣意は、弁護人出口明良作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

二  所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、被告人が、いわゆるみかじめ料名下に金員を喝取しようと企て、平成六年四月一六日午後一時三〇分ころ、東京都《番地略》所在の甲野ビル内のパチンコ店「乙山」前歩道において、同ビルを所有し、右パチンコ店に同ビルの一部を賃貸している会社の代表取締役のAに対し、暗に金員の交付を要求し、その要求に応じなければ近隣のパチンコ店「丙川」において発生したけん銃発砲事件と同様の犯行に及ぶことを告知し、Aをして同人やその家族の生命、身体等にいかなる危害などを加えられるかも知れない旨畏怖させたが、同人らが警察官に届け出たため、金員喝取の目的を遂げなかったとの事実を認定判示している。しかし、被告人は、本件に際し、路上で、Aと五分間くらい立ち話をしたことはあるが、みかじめ料の要求行為もしていないし、脅迫行為にも及んでいないから、被告人の行為が恐喝未遂行為に当たるとした原判決には、明らかに判決に影響を及ぼす事実認定の誤りがあり、かつまた、弁護人がAの証人尋問を求めたのに、同人を取り調べないまま右のような認定をした原判決には審理不尽の違法があるというのである。

三1  そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、原判決は、本件起訴状に掲げられた訴因と全く同旨の、「被告人は、いわゆるみかじめ料名下に金員を喝取しようと考え、平成六年四月一六日午後一時三〇分ころ、東京都《番地略》甲野ビル内の株式会社丁原経営のパチンコ店「乙山」前歩道において、同ビルを所有し、右株式会社丁原に同ビルの一部を賃貸する株式会社戊田石油の代表取締役Aに対し、手指で拳銃の真似をし「丙川でこれがあったのを知っているだろう。」「俺たちを通せばそういうことはない。」などと申し向けて暗に金員を要求し、要求に応じなければ、「乙山」においても、近隣のパチンコ店「丙川」で発生した発砲事件に類する事件を起こすことをほのめかせ、右Aやその家族の生命・身体及び右戊田石油株式会社の営業・財産に危害を加えかねない気勢を示し、同人を畏怖させたが、同人らが警察官に届け出たためその目的を遂げなかった。」との罪となるべき事実を認定判示している。

2(一)  原審で取り調べた関係各証拠によれば、被告人が、平成六年四月一六日午後一時三〇分ころ、東京都《番地略》所在の甲野ビル前の歩道上において、Aとの間で、五分足らずの間、言葉を交わしたりしたことは明らかである。そして、関係各証拠によれば、その際の具体的状況や被告人とAとの関係、同人と会話を交わすに至った経緯等は、次のようなものと認められる。すなわち、

(1) Aは、右甲野ビルを所有する株式会社戊田石油の代表取締役であって、同ビル三階の一部と四階を同人やその家族の住居として使用している者であったこと

(2) 同ビルは、通称戊原駅入口交差点と呼ばれる、京葉道路と区道との十字路交差点の北東角に建つ鉄筋四階建てのビルであるが、Aの住居部分以外の部分は、株式会社丁原が賃借し、同会社では、本件当時、同ビルの一、二階をその経営するパチンコ店「乙山」の店舗にして、同月二二日開店するという予定(実際の開店は、同年五月一日)でその準備を進めているという状況にあったこと

(3) Aは被告人に出会う直前ころ、壊れた椅子を修理屋に持って行くため、右甲野ビルの南側の、京葉道路に沿った歩道上に止めた自動車にその椅子を積み込み、同行する同人の妻が忘れ物を取りに同人らの住居に立ち戻ったことから、右歩道上に立って、同人の妻が右甲野ビルから出て来るのを待っていたこと

(4) 被告人は、右四月一六日午後一時三〇分ころ、女性一人の同乗する普通乗用自動車を運転し、京葉道路を東方に向かい進行して来て、Aの立っていた場所近くに、歩道に沿った形で右自動車を止め、車から降りた後、いったん、右戊田ビル西側にある「乙山」の出入口前でメンバーズカードの配られるのを待って列を作っていた人たちの方に向かったが、すぐに引き返して、Aに近寄り、同人に対し声を掛けたこと、なお、同乗していた女性は、被告人より先に右自動車を降りて、右人々の列の方に行ったこと

(5) Aは、被告人から声を掛けられた後、五分足らずの間、被告人と言葉を交わしたりしていたが、Aの妻が右甲野ビルから出て来たので、これを切りに被告人との話を打ち切り、Aの自動車に乗ってその場を立ち去ったこと

(6) 被告人は、本件当時はいわゆる引退をしていたが、同年三月に引退した際には、甲田会副会長、乙野一家総長補佐、丙山三代目、丁川興業丁川組組長という肩書を持つ暴力団構成員であったこと

(7) 被告人とAは、その際出会うまで、互いに面識も一切ない、見ず知らずの他人の間柄であって、被告人も、Aの名前や職業など全く知らず、また、Aも、被告人の名前、所属する暴力団のことなど一切知らなかったこと

などは明らかである。

(二)  右(一)の(5)認定のように被告人とAとが言葉を交わしたりした五分足らずの間、被告人がAに対し、どのような言動に及んだか、二人の間で交わされた話の内容はどのようなものであったかなどについては、被告人の供述とAの供述との間に著しい食い違いがある。

(1) この点、Aは、被告人との間のやり取りの状況等について、裁判官に対する供述調書中で、次のような供述をしている。すなわち、自分は、当日午後一時少し過ぎころ、壊れた椅子を修理してもらうため、車に積んで妻と一緒に出掛けようとしたところ、妻が財布を取りに戻ったので、ビルの前の歩道に立って妻を待っていると、車が一台自分の目の前で止まり、車から降りてきた男が、ビルの表側を一通り見歩いた後、自分のところに寄ってきた。その男は、年齢が六〇くらいで、やくざ風にみえた。今、見せられた写真(被告人の写った写真)の人が、その男である。その男は、自分の横に来ると、このパチンコ店の経営者は誰がやっているんだと聞いたので、自分は、「丁原という会社ですよ」と答えた。その男は、ここにパチンコ屋ができたことは知らなかった、少し離れたところにある戊原センターというパチンコ店で聞いたんだけれども、ここにパチンコ店があるということは分からなかった、今日初めて分かったなどということを言っていた。さらに、その男は、両手でピストルのような形を作り、右手の人差し指で引き金を引く真似をしながら「丙川で、これがあったのを知っているだろう」などと言った。自分としては、昨年(平成五年)一〇月か一一月ごろ、甲野ビルから二五〇メートルくらい離れたところにあるパチンコ店「丙川」で、けん銃の発砲事件があったことを知っていたので、私は知っていると答えた。また、自分は、噂でやくざがやったということを知っていたが、その男は、「俺たちを通せばそういうことはない」などと言ってきた。自分は、その男の仕種や言っていることを聞いて、俺たちにお金を払えば守ってやると言っているのであり、お金を払わなければ、「乙山」でも同じような発砲事件があり得ると思った。自分は、帰宅後、丁原の責任者に電話したところ、社長のBが駆けつけて来て、克明に自分が言う事実を手帳に書き取っていた。Aは、以上のような趣旨の供述をしている。なお、同人は、当審公判廷において、証人として尋問を受けた際にも、ほぼ同趣旨の供述をしている。

(2) 被告人は、Aとのやり取りの状況等に関し、供述に若干の変遷があり、まず、司法警察員に対する供述調書では、自分は、車で通りかかって、パチンコ店「乙山」が新規開店することを知り、パチンコ店の門扉の前付近に立っていた年齢五〇歳位の男性をパチンコ店のオーナーかパチンコ店が入っているビルのオーナーかと思い、声を掛けた、自分は、「ここはいつ開店ですか」と聞くと、その男性は、二二日と二三日はメンバーだけで、開店は二四日からと言っていた、自分は、さらに、その男性にオーナーですかと聞くと、この男性は、「ビルのオーナーです」と答えた、こんな話をしているうち、この男性の奥さんと思われる女性が階段を降りて来て、一緒に、歩道に止めてあった白っぽい車に乗って出掛けてしまったなどという供述をしている。次いで、検察官に対する供述調書中では、自分は、Aに開店日を聞いたのに続いて、この店の名前は何というのですかと聞くと、Aは、「乙山」ですと答えた、そこで、自分は、さらに「何かあれば、私が話をしてあげますよ」と言ったが、Aはこれに対して何も答えなかったという趣旨の供述をしている。しかし、被告人は、原審公判廷における供述中では、Aと話したのは、パチンコ店の開店日が何日だということくらいで、丙川で起きたけん銃の発砲事件のことに似たような話をしたかも知れないが、記憶がはっきりしない、何かあったら自分が話をしてやるということや、みかじめ料のことを言ったりしたことは全くないなどと述べ、さらに、当審公判廷における供述でも、原審公判廷における供述と同趣旨の供述をしている。

(三)  右(二)(1)掲記のAの供述と右(二)(2)掲記の被告人の供述を対比して、いずれが信用できるか考えてみるに、被告人の右供述は、捜査段階においても変遷があり、公判段階においては捜査段階で述べたことと変わっているばかりか、内容自体としても、開店日のことのほかは世間話をしたというものであって、具体性がなく、その信用性に疑問が残る。これに対し、Aの右供述については、起訴前の証人尋問(裁判官に対する供述調書)で述べたことと、平成七年五月一六日に行った当審公判廷における証人尋問に際し供述したこととの間でほとんど食い違いがなく、したがって、本件発生後一年余り経った後も同人の記憶はかなり鮮明であることが窺える。また、内容的にみても、Aの右供述は、被告人とAが言葉を交わした際の外部的な状況や時間的な経過に符合するものであり、必ずしも被告人に不利なことだけを述べ立てたものではなく、結局、被告人の右供述と対比して、Aの右供述の方が信用性が高いということができる。

したがって、Aの右供述と前記(一)認定の客観的状況とを総合すると、被告人は、Aに声を掛けてから同人が自動車に乗ってその場を立ち去るまでの五分足らずの間、Aに対し、パチンコ店「乙山」の開店日や、その経営者が誰かということなどを尋ね、開店日が間近であることや、丁原という名の会社が経営していることのほか、Aが右パチンコ店が所在するビルの持ち主であることなどを知った後、両手でピストルのような形を作り、右手の人差し指で引き金を引く真似をしながら、パチンコ店「丙川」でけん銃の発砲事件があったことを知っているだろうという趣旨のことを言った上、「俺たちを通せばそういうことはない」などと言ったりしたことが認定できる。もっとも、Aの右供述を含め関係各証拠によれば、本件に際し、被告人とAはいずれも、自分の名前や所属する暴力団、あるいは自分の経営する会社の名前等を相手に告げたりしたことがなく、互いに名刺の交換もしておらず、今後会う約束なども一切していないことが明らかである。

3  そこで、以上認定のような事実関係を前提に、本件において恐喝未遂罪が成立するかどうか考えてみるに、たしかに右認定のような被告人のAに対する言動に照らし、Aや同人から話を聞いたパチンコ店「乙山」の経営者らとしては、暴力団の構成員と窺われる被告人から、「乙山」の新規開店に当たり、いわゆるみかじめ料を払ってくれれば、ピストルの発砲事件など起きないように守ってやるという趣旨の要求があったと受け取ったものと認定できる。そして、右要求に従わなかった場合に生じる害悪の告知として、被告人が、パチンコ店「丙川」でけん銃の発砲事件があったことについて触れながら、ピストルの引き金を引く真似をしたりしたことが、みかじめ料を払わなければ「乙山」でも同様の発砲事件が起きることになるぞということを暗に告げたものと解することができ、Aらとしてもそのような趣旨で受け取っていたことが認められる。なお、関係各証拠によれば、実際に、平成五年一一月、東京都《番地略》のパチンコ店「丙川」の店舗にけん銃の銃弾が撃ち込まれるという事件が発生していることは明らかである。

しかしながら、本件においては、以上で検討した結果に照らし、被告人が行ったとみられるみかじめ料の要求は、全く漠然とした、具体的に特定されていない要求であって、一定の金銭の交付の要求と認めることは困難である。すなわち、本件に際し、被告人が、Aに対し、その場で一定の金銭の直接的な交付を要求したものでないことは、Aも当審公判廷における供述中でその旨述べているとおりであり、この点疑問の余地はない。そして、将来、例えば月々のみかじめ料の支払いを要求したものとみるには、具体的な額が示されていないことはともかく、支払いの相手方も支払い方法も不明で、Aらとしてはこれを知る手段も方法もなく、その意味で具体性もなく、特定の金銭の交付の要求とみることはできない。すなわち、被告人は、自分の名前や連絡を取る方法などをAに一切告げず、次に会う約束などもせず、Aの名前すら聞いていないのである。そのため、Aらとしても、みかじめ料を要求したのが誰かその時点で分からなかったばかりか、盛り場などでみられるように日ごろ付近をうろうろしている者から要求されたような場合と異なり、通常の手段を尽くしただけでは要求した者が誰であるか知ることすらできなかったのである。いいかえると、Aらが、被告人の要求に従ってみかじめ料を支払おうとしても、被告人とAが言葉を交わしたときに知り得たことだけでは、これを行うことができない状態にあったのである。

いうまでもなく、恐喝とは一定の金銭や物品の交付を受ける目的をもって行う脅迫であって、金銭や物品の交付を受ける目的が具体性に欠け、特定できないときは、脅迫罪に当たることはあっても、恐喝罪は構成しないことになる。そして、本件の場合も、将来におけるみかじめ料の支払いの要求としてみても、全く漠然としたものであって、一切具体性がなく、その要求に従おうとしても払う相手も分からないというものであったのであるから、右のような意味で金銭や物品の交付を受ける目的が漠然とし、不特定のものであったといわなければならないのである。この点、被告人が「俺たちを通せばそういうことはない。」と言ったということは、将来被告人の所属する乙野一家と呼ばれる暴力団の構成員らが、「乙山」にみかじめ料などを取立に行った場合、素直にこれに応じることを要求する趣旨であったと認められるにしても、特定性を全く欠いたものであるから、恐喝の予備行為に及んだということはいい得ても、恐喝の実行行為に着手したと認めることは許されないというべきである。

4  以上要するに、原審で取り調べた関係各証拠によれば、本件訴因につき、外形的事実の存在は一応認められるが、恐喝行為の存在については、被告人にはAを介してパチンコ店「乙山」の経営者らにいわゆる渡りをつけ、将来的には自己又は自己の所属する暴力団に金銭的な付合いをさせたいという意図があったとしても、それ以上に原判決が認定判示するように、被告人が、いわゆるみかじめ料名下に具体的かつ特定の金銭の交付を求めたと認めることはできないのである。いいかえると、関係各証拠によれば、被告人が、Aに対し、類似のピストル発砲事件が起きるかも知れないなどと言ったことは認められ、これが害悪の告知に当たるということはできるとしても、それ以上に、誰が、いつ、パチンコ店「乙山」の誰に対し、どのような金銭の交付を要求するものであるかなどということについては、これが証拠上明らかになっておらず、Aに対する被告人の前記言動をもって、Aに対する恐喝の実行の着手があったとするには、なお、合理的な疑いが残るというほかない。したがって結局、被告人のAに対する恐喝未遂の事実を認定判示した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

四  よって、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条を適用して原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に被告事件について判決する。

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、パチンコ店関係者からいわゆるみかじめ料名下に金員を喝取しようと考え、平成六年四月一六日午後一時三〇分ころ、東京都《番地略》甲野ビル内の株式会社丁原経営にかかるパチンコ店「乙山」前歩道において、同ビルを所有し、右株式会社丁原に同ビルの一部を賃貸する株式会社戊田石油の代表取締役Aに対し、手指でけん銃を撃つ仕種をしながら「『丙川』でこれがあったのを知っているだろう。俺たちを通しておけばそういうことにはならないんだよ。」などと申し向けて暗に金員を要求し、その要求に応じなければ近隣のパチンコ店「丙川」において発生したけん銃発砲事件と同様の犯行に及ぶことを告知し、右Aをして、同人・その家族の生命、身体及び右戊田石油株式会社の営業並びに財産にいかなる危害・損害を加えられるかもしれない旨畏怖させたが、同人らが警察官に届け出たためその目的を遂げなかった」というものである。しかし、右三において検討したとおり、本件全証拠によるも、被告人が、Aに対し、具体的かつ特定の金銭の交付の要求をして金員を喝取しようとした事実については、これを認めることに合理的な疑いが残るので、結局、本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するのである。

よって、刑訴法三三六条により、被告人に対し無罪の言い渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 円井義弘 裁判官 岡田雄一)

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